阿寒湖のマリモ保護会会長 松岡尚幸さん
マリモを未来へ…。そのため、世界遺産登録を願う。
現在、球形マリモの群生地は世界に2カ所だけ。阿寒湖とアイスランドのミーバトン湖のみです。その貴重性から、釧路市でも阿寒湖の世界遺産登録を目指す機運が高まるなど、阿寒湖のマリモに注目が集まっています。そしてそうした機運のかげには、60年以上にわたって阿寒湖のマリモを見守ってきた、地元阿寒湖畔住民の地道な活動がありました。現在、「阿寒湖のマリモ保護会」会長を務める松岡尚幸(ひろゆき)さんのお話をご紹介します。
昔は当たり前のように岸で見かけたマリモ。
「生まれた時から、阿寒湖のマリモを護ってゆく運命にあったのでしょうか」。そう豪快に笑う松岡さん。阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定されたのは1952年(昭和27年)3月29日。そして松岡さんが阿寒湖畔で産声を上げたのはその2カ月後、5月25日のことでした。そして日本の自然保護運動の先駆けともいわれる、同保護会の前身である愛護会が発足したのが1950年ですから、まさに阿寒湖のマリモ保護活動と並んで歩む人生といえます。
「親父が漁師だったから、幼いころからよく漁の仕事についていって湖の奥までも行きました。そうしたら岸にたくさんマリモが打ち上げられていて、よろこんで触って遊んだものです。それにあの頃は湖水もきれいでした。遊んでいてのどが渇いたら、当たり前のように湖の水を飲んでいましたから」
そして阿寒湖は変わったが、再びよみがえった。
その後、進学や就職のため阿寒湖畔を離れ、十数年ぶりに帰ってきた時…。「昔、澄んでいた阿寒湖の水は濁り、岸でよく見かけたマリモの姿もありませんでした」。時はちょうど日本の高度成長期。観光事業もにぎわい、阿寒湖は旅館や住宅からの排水で水質悪化が進んでいたのです。そのため73年から85年にかけては大型の球形マリモが4割近くも減少していました。しかし86年から公共下水道の共用が始まると阿寒湖の水質悪化はくい止まり、今ではずいぶんときれいになりました。
世界的に貴重な阿寒湖のマリモを守るためには…。
松岡さんら、「阿寒湖のマリモ保護会」は、こうした歴史と環境保全の必要性を子どもたちに知ってもらおうと、18年前から地元小・中学生を対象とした「マリモ観察会」を開催してきました。普段は立ち入り禁止区域であるチュウルイ湾へおもむき、マリモのあらましを紹介するほか、打ち上げられたマリモを湖に返す作業やゴミ拾いも体験します。
「私たちの課題は、阿寒湖のマリモを未来へ繋ぐこと。そのためには今、『守るべき価値』を確立することが重要です。そう考えた場合、『世界遺産登録』は最大の価値評価となり、保護のための強力な知識や手段が得られるでしょう。ですから『世界遺産登録』が望まれるのです。目的はあくまでも『阿寒湖のマリモ保護』です」。
阿寒湖にとって特別な年に生まれた人は、そう語ってくれました。
阿寒湖のマリモ保護会会長
松岡尚幸さん(60歳)写真は「タンチョウ・阿寒湖のマリモ特別天然記念物指定60周年
記念」オリジナル切手セット発売の記念贈呈式(今年8月)にて。
30代後半に6代目会長となり、歴代の中で最も長く会長を担う。大学時代はアルペンスキー選手
として活動。大学卒業後はスポーツ用品メーカーに勤務し、ジャパンナショナルチームコーチも担当
した「体育会系」。 現在は、(財)北海道スキー連盟 競技本部長、NPO法人阿寒観光協会まちづ
くり推進機構 副理事長。 本業は、阿寒湖畔の温泉旅館「東邦館」の代表取締役。
地元の子どもたちを対象としたマリモ観察会の様子。
大きなマリモを水から出すとこんな形に…。
10月の「まりも祭り」には一般観光客の観察会も行って
います。また、台風の後などにマリモが岸に打ち上げられ
た際は、釧路市のマリモ研究室・学芸員の指示に従い、
マリモを湖に返すことも同保護会の役割です。