遙か昔、それは今から1200年前のこと。
アムール川下流域から流氷に乗って、
網走などオホーツク沿岸へたどり着いた民がいました。
怪獣を狩猟しながら豊かな文化を極めていた、流氷の民「オホーツク人」。
彼らの存在が明らかになったのは、1913年のことでした。
オホーツク文化の証である「モヨロ貝塚」が発見され、
北海道の古代史に新たなページが刻み込まれたのでした。
オホーツク文化の存在を実証したモヨロ貝塚。
その大発見した人は、青森県出身の理髪師、米村喜男衛(きおえ)さんでした。時は大正初期。当時21歳の米村さんは、網走川の河口付近で縄文系とも違う土器と、いくつもの竪穴式住居跡を発見しました。
もともと考古学に夢を抱いていた米村さんですから、謎のオホーツク文化に出合い、そこから長い発掘研究に没頭し始めたのでした。
仕事前に遺跡に出掛け調査。そして昼間は理髪店で仕事をこなし、そして夜は収集した資料の整理と分類。当初は理髪店の2階を郷土室として資料を整理していましたが、次第にそこもいっぱいに。そうして今度は住友本社の寄付によって、1936年に北海道初の博物館、「北見郷土館」が開設されました。米村さんが20年以上に渡って収集したモヨロ貝塚の出土品やアイヌ文化資料が展示され、オホーツク文化の存在もより確かに認められるようになりました。
←【写真上】米村喜男衛さんが発掘調査を行っていた1947年ころのモヨロ貝塚。
【写真下】 米村さんの理髪店。当初はここの2階にモヨロ貝塚の出土資料を収納していた。
網走市立郷土博物館
1936年に開設した「北見郷土館」が、網走市立郷土博物館として今でもオホーツク文化と網走の郷土を物語っています。赤いドームがシンボルで、北海道最古レベルの洋風建築物としても有名です。