森の生き物たちには木彫家が求め描く
切なる愛が込められている。
爽やかなクスノキの香気が立ちこめる工房内で、
木彫家は森の生き物たちを彫る。
渾身の意識を注ぎ込む制作中、木彫家の表情は険しい。
しかし、この時心の中にあふれているのは、
「『いい子だね』と可愛がられるよう、愛らしく作ってあげよう」の思い。
丹精な一刀一刀に愛が宿っているのだ。
野生の熊を見ることはこれからもない。
自然界は聖域だから。
父に師事し、初めて熊を彫ったのが12歳の時。「熊は最も位の高い神様だからね。熊を彫るということは、特別なことなんだ。だから、ずっと彫り続けるよ」。
命を持つかのような活き活きとした熊を作り出すのに、藤戸さんはこれまで一度たりとも野生の熊を見たことがないと言う。「ないさ。見たいとも思わないよ。彼らは神聖な自然界で生きている。人間なんかに出くわさず、平和に暮らして欲しいんだ」。藤戸さんが彫る熊は、藤戸さんの想像の世界で生み出される姿なのだ。
木彫家の心がいつも求めてきたもの。
それが作品に…
その熊たちの表情はどこか優しく愛情に満ちている。「川の恵み」という作品など、母熊と小熊が寄り添う作品も多い。「実はね、私は母を知らずに育ったんだ。
私が一歳になる前に母が亡くなってね。だから、いつだって母親の愛情を求めて生きてきた」。そうだったのだ。見る者の心を微笑ませる作品の力は、藤戸さんが求め描く愛情が創造していたのだ。
工房には、ウサギと熊が追い駆けっこをしていたり、子鹿を優しくあやす熊の作品も並んでいる。「現実にはこんなことはあり得ないよね。
でも、こういう世界が好きなんだな」。精緻な技で彫り抜かれた森の生き物たちは、木彫家の心によって生命と幸せを与えられていた。
彫刻家 藤戸竹喜
1934年 | 旭川に生まれる。 |
1969年 | 阿寒湖の故前田正次翁の樹霊観音像を完成。 |
1971年 | レーニン誕生百年記念の為レーニン胸像 制作、招待を受け訪ソ、 レーニン博物館に贈呈。 |
1983年 | 英国のエジンパラ公に「怒り熊」贈呈。 |
1984年 | 皇太子ご夫妻に阿寒町からの献上品として 「丹頂鶴レリーフ」贈呈。 |
1989年 | 井上靖作「敦煌」の主人公 「行徳立像」制作。 |
1989年 | 旭川優佳良織工芸館の依頼を受け 「狩をする10人のエカシ達」制作。 |
1999〜 2000年 |
ワシントンのスミソニアン博物館作品展示。 |