夏の風物詩 支笏湖のヒメマス漁

[水の謌]でも毎年この時期だけお目見えする、支笏湖の夏の味覚・ヒメマス(チップ)。漁期は6~8月の期間限定で、漁場も限定されています。「漁獲量はその年によって違います。今年のヒメマスは脂がのっていてすごく質がいいのですが、数は例年より少なめかも知れません」と、支笏湖観光センター代表の小林典幸さん。

ヒメマスが原産地の阿寒から支笏湖に移植されたのは明治27年(1894年)で、初の放流に成功しました。「釣り船が出るのは早朝3時からで、一本釣りのみ。遊漁承認証を持つ80~100艘が漁に出ます。積み込む釣り棹は、1艘につき7本までに限られているんです」。支笏湖産のヒメマスは味が良く、プロの料理人からも人気が高いそうです。

漁期中、初心者向けに朝食付きヒメマス釣り体験ツアーも実施しているので、希望者は支笏湖観光センター(0123・25・2041)へ問合わせを。

ヒメマス


 

支笏湖観光センター小林さん

支笏湖観光センター
代表小林 典幸さん
1968年、千歳市生まれ。支笏湖畔で食堂や貸しボート業を営み、
漁期には自らヒメマス漁に出る。
ヒメマス釣りのガイド付きツアーも実施。


支笏湖の歴史1山線鉄橋

 

 

支笏湖のシンボルとして親しまれている湖畔の赤い橋が、山線鉄橋。「すごく歴史のある橋なんですよ」と、自然公園財団支笏湖支部の小野寺裕太さんが教えてくれました。 元々は、明治32年(1899年)に北海道官設鉄道上川線の砂川〜妹背牛間に架けられた「第一空知川橋梁」で、英国人技術者による設計。英国製の鋼・錬鉄混合トラス橋で、使用されているものとしては道内最古の鋼橋です。

明治41年からは王子製紙苫小牧工場の建設資材を運搬する王子軽便鉄道が運行を開始。その「湖畔橋」として、大正12年頃に支笏湖に移設されました。当時、苫小牧~富川間の海岸沿いを運行していた苫小牧軽便鉄道が「浜線」と呼ばれていたのに対し、山側に向かう支笏湖畔行きの王子軽便鉄道を「山線」と呼ぶようになりました。それが現在の呼び名の由来です。

「現在の山線鉄橋の位置は、山線の連行当時から変わっていません」と小野寺さん。昭和26年に山線が廃止され、同42年に王子製紙から千歳市に寄贈されました。山線鉄橋は、実は誕生から120年近い歴史を持つ、貴重な橋なのです。

 

山線鉄橋と小野寺さん

(写真左)支笏湖ビジターセンター隣のパークハウス内には、山線に関する資料が展示されている。
(写真右)自然公園財団支笏湖支部 BESスタッフ 小野寺 裕太さん 支笏湖東岸、千歳川河口にかかる赤い橋が「山線鉄橋」。現在は支笏湖温泉街と休暇村・野鳥の森を結ぶ散策コースの人道橋


 

支笏湖ビジターセンター

一般財団法人 自然公園財団支笏湖支部(支笏湖ビジターセンター内)北海道千歳市支笏湖温泉番外地 Tel.0123-25-2453
http://shikotsukovc.sakura.ne.jp