使う人への思いを込めた伝統の文様

阿寒湖のコタンの一角、伝統的な木彫り、美しい刺しゅう、そしてTシャツやストラップなど日常的に使えるものまで、さまざまなものが並ぶ「熊の家」。二代目である藤戸康平さんは、今最も注目されているアイヌ・アートの彫刻家です。「若い頃は都会に出たいと、高校から札幌に行き、東京で飲食業に就いていました。でもある日、都会が息苦しく感じられるようになって…。子供が生まれたこともきっかけとなり、北海道へ戻る気持ちになりました」。お父様から店を任せたいと言われていたこともあり、2004年、27歳の康平さんは家族と阿寒湖へ居を移しました。もともと手先が器用で、高校では美術部に在籍、もの作りに興味のあった康平さん。「妻が大切に使っていた時計のベルトが壊れたので、木彫りで作ってとリクエストされたのが、作品といえる最初のものかな…」。素直に彫刻刀を握り、掘る作業に没頭できたと言います。その作品を見た周囲の人の口コミで、康平さんの存在が知られるようになりました。若きアーティスト・藤戸康平の時計が動き出したようです。アイヌの人々は古くから身に着ける物に「悪いもの」「病の神々」が入り込まないように魔除けの文様を施しました。単に美しい装飾だけではなく、家族への深い愛情が表現されているのです。康平さんは、そうした伝統的な文様を残されている資料をもとに調べ、時計のベルトを始め、iPhoneや方位磁石のケースなど、現代の道具に思いを込めて掘りこんでいます。「熊の家」で作品に出会った人、ホームページを見た人など全国からオーダーが来ます。その一つひとつにじっくり向き合い、イメージを描き、ていねいに作り上げていくのです。「実用品ですから使い勝手が良い事、大きさに制限があるので、どう文様を入れ込むか、何度もスケッチして色、美しさ、バランスを考えます」。乾燥させた木を使うため、時には作業中に割れてしまったり、イメージと違うと感じてやり直すことも。それでも気持ちを立て直して、また一から作業を始ると言います。実に地道で孤独な作業。でも、その中で感じる先人たちの知恵や祈りが、康平さんを包んでくれるのでしょう。「家具やシルバーを使ったものも作ってみたいですね」と笑顔に縁取られた深い瞳が未来を見つめています。